「もっと続けて欲しい!」
と個人的には思うものの、残念ながら今回でこのシリーズ終了です。
始まりがあれば終わりは来るものさ。
などとカッコつけたところで。
2月25日、シャロームの家にて、3回目の
勉強会「人権ってなんだろう?」 -当事者活動の取り組みを通じてー
が開催された。
冒頭にもある通り、今回が最終回。約20名ほどの参加者には、当事者・支援者は
もちろん、当事者家族や支援者になるための勉強中の者も集まり、今後の発展の可
能性を予見させる会となった。
いつものように精神障害当事者会ポルケ代表の山田氏をお迎えしての1時間半。
自己紹介・前回までの振り返り・テーマ講義・質疑応答そして記念撮影へ。
懇親会あると思ってたのになかった。あ~、ヤケ酒飲むか!
テーマは「合理的配慮」。
日常生活はもちろん、就業する上でも他者との関係性において重要な要素である。
では、例としてはどのようなものが挙げられるのだろうか?
まず、「障害者差別解消法」では「社会モデル」での合理的配慮を取り入れて
いるが、これは、「2階建ての建物に1階から2回に上がる手段があること。」と
いう例で説明できる。
その手段には「階段」「エレベータ」「エスカレータ」「ハシゴ」等があり、これは、
「程度の差はあれど、環境の変化によって障害が解消される」ということである。
ただ、車いすユーザにとっては「階段」「エスカレータ」「ハシゴ」では解消とは
ならず、「エレベータ」ではじめて取り除かれた状態となり、合理的配慮がなされた
という結論である。
目指されるは「障害の有無によって分け隔てられない共生社会」である。
人は、権利においては「平等」なのである。
さて、精神面での「生きづらさ」を抱える者にとって、就業することの困難さ
は、当事者はもちろん、職場における周囲との連携がうまくいかないことに多く
見られる。
私自身の体験もあり、また、当事者会で語られることの多く、そして職場の
不満として健常者から挙がってくる内容から言えることである。
では、「解決」に向けて何が行われているのだろう?
まさに、ここで必要となるのが「合理的配慮」である。
ただし、当事者は要求するだけでなく、役割を果たす必要がある。
では、合理的配慮を得るためには何が大事になってくるのか?
一つには「生きづらさ」について言語化することであり、さらに必要なサポ
―ト」を伝えることであろう。
だが、これは一方的に行うことではなく、関わる者どうしにて建設的に「どうして
いくか?」を共に考えて実現化することにつなげなくてはならない。
なかなか「言語化」が困難で、流されてしまうことが多いのが精神での生きづ
らさを抱える者の課題である。
実際、診察時に医師をはじめとする医療従事者にどれだけ言えていることであろう。
精神面での問題を抱えるということは、生活するうえで波があり、固定性がない
状態である。
このことの理解はまだまだ進んでいないのが現状で、合理的配慮をあきらめたり、
合理的配慮に絶望させられたり、という例を私自身見てきた。
だが、ひとりひとりが「自分事」をしっかりと認識し、そのことをしっかりと伝え
続け、そして仲間を募っていくこと、発信をし続けていくことで社会を半化させる
ことにつなげていかなければならない。
昨年12月、私が参加した「当事者の就業について」の講座にて、発達障害の当事
者が、企業の障害者採用担当者として、募集要項を作成し、1次面接担当者とのこ
とだった。
面接時には「配慮はするが遠慮はしない」旨を必ず伝えるという話があったが、
「プロ意識」を持たずに就業することが、いかに企業にとって害悪かということで
ある。
就業したい気持ちはあっても、実際の現場で役に立たなければ、戦力ではないの
だ。
決して厳しいことではなく、「仕事」とはそういうものであり、ライバルに勝つため
に企業は活動している。
全3回を通し、「人権」はどれだけ「身近なこと」になったであろうか。
日常生活を送る中、「こうなればいい」と思ったことは、すべて「人権にかかわ
っていること」と思うことから始められるだろう。
「生きづらさの解消」=「リカバリー」に向かう姿勢であることが、より「人権」
を身近にしてくれる手段であると思う。
さて、質疑応答・意見交換の時間で主張できなかった私の意見を、執筆者特権に
て掲載させてもらう。
私は、アマチュアの楽器演奏者であるが、弾く側として、また聴く側として思う
ことである。
日本のコンサートホールでは、車いす利用者は「車いす席」にて聴くことになる。
場所はホールによって異なり、1列目であったり、1階席の真ん中あたりの高さ
の端であったり、2階席であったりする。
つまり、車いすという「生きづらさ」を抱えていることで「好きな席で聴けない」
のである。
なぜなのか?
これは、何かの際に誘導するのが職員に限られるからである。
私は以前、総合病院にて救急外来の受付をしていたことがあり、折り畳み式の
車いすの扱い方を知らないばかりに関係者に迷惑をかけたことがあった。
医療事務の講座においては座学のみであり、どのような患者でも対応できるよ
うな実習やロールプレイは行われない。
そのため、私は知識が不足していた。
では、車いすの扱い方を知っているのは、この国では誰なのか?
問題はここにある。
小学校の授業から「介護」等、福祉を学ぶ機会があれば、結果として「車いす
席」という特別扱いはなくなるのではないだろうか?
誰でも扱い方を知っているのなら、何かの際にも誰でも誘導が可能となる。
まだまだ「人権」「合理的配慮」の概念が当事者に浸透していない現状。
嘆く対象、グチの対象、ではなく、「変えていくエネルギー源」ととらえることで
社会に対する大きな動きとして行けるのでなないだろうか。
我々、YPS・横浜ピアスタッフ協会は、そんな「仲間」を歓迎いたします。
と、マジメに語っているけど、単に
「バカ騒ぎ」
したいメンバーを新規募集してるんだよね。