通り過ぎていく誰かを呼びとめることばのために 前編

匿名希望さん

YPS事務局様のご厚意により、今回この原稿を掲載していただくことになりました。

今この文章に目をとめてくださっているひとはどんな方なのでしょうか。何かそのきっかけなどはあったのでしょうか。

おそらくご自身のこれまでの経験や体験から、ピア活動というものに何らかの関心をもって興味をもっているのではないかと私は想像をしています。

「ピア」ということばはいったい何を意味するのでしょう。仲間、ということばが直訳であるそうですが、なにやらつかみきれないところがあるように感じています。

ただ 「ピア」ということばは、「…というものでしかない」「…でなければならない」「…というのは間違っている」といったどこか硬いことばで説明をしようとすると、どこかその窮屈さを嫌がって遠くの方に逃げていってしまうもののように、不思議なことに私はどこか感じています。

 私は今回、そうしたことばで「ピア」について何かしら語ろうとするのはなるべくなら避けたいと思いました。

 なぜなら普段私たちを取り巻いていることばの多くには、自分の考えの正しさを主張したり、ある出来事について説明しようとすることばの多くにはそうしたこわばりがあって、それは私たちを互いに遠く分け隔ててしまうことが多いように感じるからです。

 そしておそらくその硬直したことばは「ピア」ということばが指し示すところとは対にある場所をどこかで占めており、そうしたことばのために、自分自身を苦しめている人が沢山いるように思います。

そこでここでは私自身が「ピア」と呼ばれるその関係のあり方に関心を持つようになった体験のことをお話ししたいと考えました。

そしてその私の体験は、皆さんが「ピア」ということばに関心をもつきっかけになった体験とおそらくどこか近しいものであったなら良いなと思っています。

 私は以前に精神科病院のデイケアに通っていた時期がありました。

 デイケアとは医療施設などが提供をする障害者向けのサービスで、日中の居場所を提供したり社会復帰を目指す利用者のために、レクリエーション等のプログラムを行ったりして交流をする場所です。

同じ利用者の人も職員さんもみな穏やかで接しやすく、居心地もそこそこ良いけれども、いま働いていない自分が疎ましい。そんなことを感じながら過ごしていました。

 あるときのこと。

デイケアのプログラムに普段見慣れない男性が参加していました。少しだけ立ち話をして別れました。身なりから新しく入ってきた利用者の人だろうと私は想像をしていました。

 その後、病院の玄関でその男性と偶然出会いました。

男性はしばらく私に話しかけてくるのをためらった様子でしたが、思いつめた表情でゆっくりと、だけれどもどこか熱っぽい口調でこんなことを語りかけてくるのでした。

この前あなたと話したときの時のことだけど…

あなたが話していたことばが、もしかして自分に悪意があって傷つけるつもりで言っていたように思えて仕方がない…

あなたはそんな意味で自分に話しかけてくるような人だとは思えなかったのだけれども、あれから何度も何度も、あのことばはどういう意味だったのだろうかと、何度も何度もずっと思い返してしまっているんだ…

 私は男性に対して酷く何か悪いことをしてしまった気がしました。

その日、病院の職員さんに面談をお願いをして男性とのやりとりのことをお話しました。

 職員さんは穏やかな、暖かみのある口調でこう答えました。

 お話ししてくれたことは、あなたは特に気にしなくて良いですよ。大丈夫ですよ…

 …私はどこか釈然としませんでした。

おそらくは私が余計なストレスを感じなくても済むように、これまでに経験を重ねている職員さんなりに考えてのことばだったと思います。

ただその職員さんのことばは、私のなかでどこか互いにやりとりがかみ合っていないような気がしました。

私が尋ねたかったこと、知りたかったこと、納得したかったこととは別の答えが返っていたような感じがしましたが、自分自身でもその理由は分かりませんでした。

 その男性が、私が普段立ち入りすることのない閉鎖病棟から一時的に出てデイケアに参加していた患者であったことを知ったのはのちのことでした。

 男性が私に訴えたような症状を抱えた人が世の中にいること。

その後遺症状のために社会復帰をする機会を失い10年、20年もの長い間、病院に通い続けている人が顔見知りのなかにも少なくないことを、私はそれまで意識をしていませんでした。

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